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ミステリーや映画、パソコンなど趣味の話題を書きつらねています。最近はもっぱら映画の感想、そしてデジカメやパソコンなどデジタル機器に集中しがち。アジア関連の話題は別ブログ「萌えるアジア」に書いています。
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高木彬光「邪馬台国の秘密」
「古代天皇の秘密」に続き、「邪馬台国の秘密」を読み返したくなったので読んでみた。
この作品を読むのはこれで3度めかな。
さすが、こちらはテーマが「邪馬台国はどこにあったか?」と明確で、検討材料が「魏志倭人伝」の約2000字に限られているので、「古代天皇の秘密」にくらべ実に読みやすい。
がしかし、内容については、以前読んだときはなるほどと思ったものだが、今回読み直してみたところでは、あまり感心できなかった。
神津恭介が、邪馬台国の位置を定めるにあたって考察した「神津説」のポイントは大きくは次の3つ。
1.壱岐から九州への上陸地点・末盧國を従来説の東松浦半島からより東の宗像神湊と推定
2.魏志倭人伝に書かれている「千余里」などの余の部分を従来より大きく見積り、不彌國と邪馬台国は隣接していると推定
3.邪馬台国に至る「水行十日、陸行一月」を、スタート地点からのトータル日数と推定

このうち2については、文字の解釈ではこのようにもとれるかというところで、さして独創性はない。
3については、魏志倭人伝に書かれている行程では、多く見積もっても水行5日陸行10日程度。神津はここで、朝鮮半島内での陸行に20日程度かかったのではと推理しているが、これはかなり強引。もし朝鮮半島内での移動にそんなに時間がかかるのなら(何しろ全行程の半分だ)、魏志倭人伝のこの部分に何らかの記述があってしかるべきだ。
また、原文を見ても、「水行十日、陸行一月」がトータルでの日数だと感じさせる文にはなっていない。

さらに、この説自体、神津恭介の独創というわけではなく、この作品が書かれるより前に古田武彦が発表している。これについて神津恭介は味の素と協和発酵の製法特許の話などをもちだしてきて言い訳しているが、これも苦しいといわざるをえない。
ちなみに、私が読んでいるのは1976年に書かれた「改稿新版」をもとにした文庫なのだが、このあたりの記述は改稿新版で付け加えられたものなのだろう。いずれ改稿前のオリジナル版のほうも読んでみたい。

 
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