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ミステリーや映画、パソコンなど趣味の話題を書きつらねています。最近はもっぱら映画の感想、そしてデジカメやパソコンなどデジタル機器に集中しがち。アジア関連の話題は別ブログ「萌えるアジア」に書いています。
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高木彬光「魔弾の射手」
昨日に続き、高木彬光の神津恭介ものを読んだ。
神津恭介もの第3作「魔弾の射手」。1950年「夕刊東奥」という新聞に連載され、1955年に出版されたもの。
前作はワトソン役・松下研三視点で書かれていたが、今作は神の視点が書かれていることもあり、神津恭介に対する描写がより詳しい。「まだ三十にとどかない、女のような美青年」だが「神津恭介という名は、いまや日本捜査陣営の、若き偶像になっていた」というほど。眉目秀麗、頭脳明晰。明智小五郎、金田一耕助、御手洗潔など世に名探偵と呼ばれるキャラクターは数多いが、これほど欠点のない完璧に近い存在の名探偵はちょっと他には見当たらない。

さて本作は謎の人物からオペラ「カルメン」の切符と予告状を受け取った神津恭介が、この舞台で事件に遭遇するところから始まる。その後、「顔のない死体」やら、足あとのない雪の上での刺殺やら殺人事件が立て続けに起こる……のだが、登場人物が多い上、音楽関係者やらマネージャーやら似通った人物が何人もいるので、なかなか区別がつかない。「魔弾の射手」とは誰か?という興味で引っ張っているのにこれでは、誰が魔弾の射手であっても、「あ、そうなの」で終わってしまう。

また、「魔弾」の正体が最後のほうで明らかになるのだが、使い方がうまくないので、いざわかっても驚きがない。
というか、たとえ弾丸が体内に残っていなかったとしても、銃創か「円錐形の刃物を突き刺した傷」かぐらいはすぐわかると思うのだが。

いちばんよくわからないのは、なぜ「魔弾の射手」はわざわざ神津恭介に予告状を送ったかということ。神津恭介を巻き込むなんて、私を捕まえてくださいと言わんばかりの行動だ。

ちなみに、ちょっとググってみたところ、オペラ「魔弾の射手」の原題「デア・フライシュッツ」は直訳では「自由射撃」。これを「魔弾の射手」と訳した翻訳者は素晴らしいセンスの持ち主ですね。

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